<ガイドブックに載っていない島案内>
〜ジョン万次郎の遺産が根付く〜
150219更新
マルベリー
2013年6月21日付 都政新報
ガイドブックに載っていない島案内Bに投稿した文章です。
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短い歴史の間に島を訪れた有名人物の中からジョン万次郎(中濱万次郎)について取り上げてみたい。 ジョン万次郎は、若いころ漁師として乗っていた漁船が漂流したのち、鳥島にたどり着いた。 しかし、ジョン万次郎は小笠原近辺に5度も訪れていることはほとんど知られていない。 まず初回は、弘化4年(1847年)、アメリカからの捕鯨船に乗り込んでいた時である。 2度目は安政6年(1859年)、幕府の許可を受けた船で小笠原近海に試験捕鯨に向かった。 3度目は文久元年(1862年)、幕府の探検隊が開拓のため咸臨丸で来航したときに、 4度目は文久3年(1863年)、また捕鯨のために来島した。この時は父島で水夫を雇い、小笠原近海でマッコウクジラを2頭しとめている。小笠原での滞在は4か月ほどであった。 最後の5度目は明治21年(1888年)、わずかな航海記録の断片しかないが、 合計5度の小笠原近海への航海のうち、4度は捕鯨がらみである。 現在、小笠原には彼の足跡を示すようなものは何もない。 江戸時代末期、日米の懸け橋として貢献したジョン万次郎。 最後に、小笠原までアクセスについてであるが、船による航路のみである。 補足: 調査不足のため、万次郎がアメリカにわたるハウランド号での軌跡について見落としありました。 ハウランド号は万次郎たちを救出し、ハワイに立ち寄りの後、再度、日本近海で捕鯨しています。 そしてその間、航海日誌などによると、ハウランド号は1842-5-27父島二見港に入り、 食料を調達しています。 したがって、万次郎の初来島はこの時ということになります。 結論:初来島1842-5-27 小笠原近海への航海6回となります。 |